神様は、国々をただ混乱の状態や、永遠に希望のない状態のままにはしませんでした。アブラハムという男を選び、契約を結びました。それは、神様がアブラハムを祝福し、子孫を増やし、その子孫を通してすべての国々に祝福をもたらすという約束でした。このアブラハムの家族を通してこそ、神様が壊れた世界を癒すことになるというものでした。
何年も待った後、アブラハムにはイサクという子供が与えられました。アブラハムは、やっと与えられた約束の子であるイサクを生贄として捧げるように神様から指示されました。聖書の中で最も劇的な場面の一つであると言えるでしょう。神様を信頼したアブラハムがイサクを捧げるため殺そうとした瞬間に、神様は彼の代わりに生贄となる雄羊を与えられました。その雄羊はイサクの代わりとなって死に、そして神様のしてくださった約束は続くのでした。
イサクの家族は、イスラエルと呼ばれる偉大な国家に成長しました。しかし、何世代もの時が流れ、イスラエルは、当時世界最強の国であったエジプトの奴隷と成り果てていました。イスラエルの人々は打たれ、虐待され、苦しみを受け、絶望の淵にいました。彼らは神様に悲痛な叫びをあげ、神様は彼らの叫びを聞かれました。
神様はモーセという男を用いて、ご自身の力強い御手でイスラエルの人々を救い出しました。エジプトからのこの脱出は、イスラエル人が振り返って「神様は私たちの救い主であり、私たちとの契約を守ってくださる」ということを常に思い出せる神様の偉大な働きでした。
イスラエル人が奴隷の立場から救われた直後、神様はある山の頂上でモーセに語られ、彼らが生きる上で必要な戒めを告げられました。しかし、アダムとエバのように、イスラエルの人々も常にこれらの戒めに従うことはできませんでした。神様は常に善良で正しく、完璧なことをするお方ですので、彼らの罪を見過ごすことはできません。罪に対する究極の罰は、死です。一人ひとりの神様に対する不従順の罪が赦されるためには、命が捧げられなければなりません。しかし、神様はご自身の民を愛していたので、彼らの代わりに罪のない動物の命を身代わりとする方法を与えてくださいました。罪の無い子羊の命が彼らの罪の代わりになるこの儀式は、長い間続けられました。
辛い奴隷の立場から救出された後、イスラエル人もさすがに神様に対する反逆をやめると思うでしょう。しかし、残念ながら、そうではありませんでした。神様が約束してくださった土地へ向かって旅をしていたイスラエル人は、神様に不平を言い始めました。また、とても辛かったエジプトの奴隷に戻りたいとまでも思い始めました。そしてある時、イスラエル人はエジプトから持ち出したすべての金の装飾品を集め、それを溶かし、黄金の子牛の像を作り、それを彼らの神としました。彼らのこのような反逆によって、神様のご計画が妨害されることはありませんでした。この時でさえも、神様は壊れた被造物を贖い回復させるという使命を果たしてくださる途中でした。
40年後、神様はヨシュアという名の男のリーダーを育て上げ、イスラエルの人々を荒野から神様が約束してくださった美しい土地へと導きました。神様は奴隷としての暮らしから安全な土地での暮らしへと彼らを救い出してくださいました。
ここで、イスラエル人はやっと安心して自分たちの土地に住むことができ、神様に対して反逆し続けてきた生き方を辞められると思うかもしれません。しかし、真の神様を礼拝する生き方ではなく、すぐに神様に対する反逆という壊滅的な生き方を繰り返してしまうのです。世代から世代へと時が経つにつれて、イスラエルの人々は彼らを救い出した神様からますます離れていきました。
しかし、神様はここでもご自身の使命を果たしてくださる途中でした。
神様ご自身が唯一の善良な王であることを示してくださったにもかかわらず、人々は人間の王を求めました。その王の一人にダビデがいました。ダビデは優れた形で、その国を治め、まとめました。ダビデが死ぬ直前、神様はダビデと契約を結ばれ、彼の息子の一人が神様の民を永遠に治めると約束されました。
しかし、ダビデの息子たちは父親の道を歩まず、神様に従いませんでした。彼らは他の国の多くの神々に目を向け、自国の人々を真の神様から遠ざけてしまいました。イスラエル人の反逆のため、神様は他の国を用いてイスラエルを征服させ、約束の土地から彼らを追放しました。すべてが失われたようでした。しかし、神様はここでも壊れた被造物を贖い回復させるという使命を果たしてくださる途中でした。
約束の土地から追放されている間も、神様は預言者たちを通して語られました。それは、いつか神様がこの地に来られ、神様の民を救ってくださるという大きな約束でした。神様は、偉大な力を持ちながらも誰よりも謙虚に仕える方を送り、彼らを贖ってくださると。
それゆえ、神様の民は、神様が彼らを救ってくださる日を待ち望み、希望を抱いていました。
幕間
最初にバビロニア人、次にペルシャ人、その次にギリシャ人、そして最後にローマ人 –– 何世紀にもわたってこれらの帝国は、神様の民であるイスラエル人を国外へ追放し、弱体化させ、奴隷にまでしました –– そして、神様はそれを止めることもせず、何もしなかったようにみえます。
結局、神様はイスラエルの祈りに応えてくださるのでしょうか?彼らを救い出してくださるのでしょうか?
- 神様は物事を正すために、ある方を送るとアダムに約束しました。
- 神様はこの地上を決して破壊しないとノアに約束しました。
- 神様はアブラハムの子孫であるイスラエルの人々を祝福するとアブラハムに約束しました。
- 神様はエジプトの奴隷であったイスラエル人の先祖を救い出しました。
- 神様はイスラエル人を祝福し、ヨシュアを通して彼らに土地を与えました。
- 神様は、ダビデの息子を通して、民を正しく導き、支配する王をくださると約束しました。
- 神様は追放されている状態から神様の民を救うと約束しました。
400年以上もイスラエルの人々は待っていました。 とても長い間、求め、 期待していました。
神様が救ってくださることを。
神様の民は、自分たちの王となるべく神様から遣わされる方、救い主を探し求め始めました。 偉大な政治家や強力な革命家が現れるたびに、何度も彼らの期待が膨れ上がりました。しかし、自称救い主だという人物は皆、イスラエルを救うことができませんでした。 その度に、彼らの希望は何度も打ち砕かれました。
この物語が、このまま終わりを迎えていくようにも見え始めていました。
考えてみてください。
- イスラエルに対して神様のしてくださった約束はどのようなものがありましたか?
- イスラエルの人々は何をするべきでしたか?彼らは実際にそれを行うことはできたでしょうか?
- この物語から神様とはどのようなお方であると学びましたか?人間について、また世界についてはどうでしょうか?