第六章 : 回復

この物語はまだ終わっていません。イエス様の見習いの一人であるヨハネという男が小さな島に投獄されました。彼は刑務所の独房に座って、神様に祈りました。神様が神の民を最終的に救うのか、そしてそれはいつだろうかと思いめぐらしていました。 神様は夢を通してヨハネに啓示を与えました。豊かな描写を与える一連の話の中で、神様の統治の中、教会を通して地上における神様の使命が果たされているという現実をヨハネに気づかせました。神の民が苦しみの中にあっても、敵が勝っているように見えていても、すべてが失われたわけではありませんでした。神様は、ご自身の目的達成へ向かって着実に進んでいること、最後は完全で、最終的勝利に至ることをヨハネに明らかにしました。 いつの日にか、イエス様は、犠牲となって殺された子羊としてだけでなく、勝利した獅子として再び戻って来られます。ヨハネはこの出来事を豊かな描写で描いています。イエス様は、戦いから戻った力強い将軍のように偉大な白い軍馬に乗り戻って来られます。その口からは正義の剣が出ており、その腿には「王の王、主の主」と書かれています。多くの宝石の冠をかぶり、輝く白い衣を着ています。その裾は血に染まっています。  イエス様は最後の戦いの為に戻って来られ、ついにサタンと闇の力を完全に打ち破り、彼らを火の池に送り込み、永遠にそこにとどまらせます。 それからイエス様はすべての人を裁きます。死を選択することを決め、神様の支配に反逆し、決して悔い改めることをしなかった人々は切り捨てられ、これから来る神様の新しい創造を永遠に逃してしまいます。イエス様の血によって贖われ、贖われたコミュニティの一員であった人々は、これから来る神の国で永遠に神様と共に過ごすようになります。 ヨハネはそれを見ました!彼は被造物が回復されるのを見たのです!すべての悪しきものが取り消されるのを見ました: すべての呪いの結果が取り消されました。 歪められていた神様の創造の意図が、正されました。 すべての涙が、拭い去られました。 もはや死はありません。 嘆きも涙も痛みもありません。 すべての偽りの偶像、偽りの神々、偽りの救い主は、降伏して真の救い主を永遠に礼拝します。 彼は永遠を垣間見ました。雲も琴も漠然とした異世界もありません。 そこには王がいました。 新しくされた被造物がありました。 あらゆる部族、国語、民族、国民がひざをかがめ、「イエス・キリストは主である」と礼拝し、生活を送っていました。 ヨハネはそれを見ただけでなく、聞きました。 彼は王座から力強い声が宣言するのを聞いたのです。「見よ、神の幕屋が人とともにある。 神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。 神ご自身が彼らとともにおられる。 見よ、わたしはすべてを新しくする!」 これらすべてを見聞きしながら、ヨハネは神様が未だその使命にあるということを再び確信しました。 イエス様がご自身の世界でその目的を達成するために、ご自身の教会を用いていることをヨハネは知っていました。 それを妨げるものは何一つありません。 ヨハネは、教会の家族が今の自分と同じ希望、安心、差し迫った思いを持つように、自分が見聞きしたことを書き留めました。 彼は次の言葉を最後の言葉として書き終えました。 『アーメン、主イエスよ、来てください!」 考えてみてください。 この物語のエンディングを知って、ワクワクするところはどこでしたか? この物語から神様とはどのようなお方であると学びましたか?人間について、また世界についてはどうでしょうか? 神様の使命に人生を捧げる価値はあると思いましたか?

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第五章 : 教会

イエス様は十字架で死に、墓に葬られ、三日の後によみがえり、多くの人々に現れました。そしてイエス様はご自身に起こったことは全て計画通りであったことを聖書から兄弟姉妹達に示し始めました。神様はまだ贖いの使命にあり、神様の統治を世界に告げ知らせる為に彼らを遣わします。40日間、イエス様はご自身の死と復活はなくてはならないものであったことを彼らに示されました。イエス様の死と復活は、 ​ 人間の罪の罰をイエス様ご自身が身代わりとなって受ける為に サタンを滅ぼす為に、 人間を罪の奴隷から贖う為に、 神様の創造を新しくする為になくてはならないものだと。 ​ 彼らにとってこれ以上の喜びはありませんでした。彼らは、唯一復活した真の王であるイエス様と共にエルサレムに座り、イエス様は王座を確立し、歴史の終わりを告げようとしていました。彼らが待ち続け、望み、求めていたものが、ようやくここにやってきたのです! ​ しかし、イエス様はまだ時ではないこと、この物語は終わっていないこと、まだ多くの人々がこの良き知らせを聞く必要があること、そして神の御国、新しい世界はまだ完成されていないことを彼らに伝えました。そして彼らは共に大使として世界に遣わされて行くことを教えられました。 天使たちが何年も前に、イエス様の誕生という良き知らせを告げたように‥‥。 ​ イエス様が御国を告げ知らせ、御国での生活がどのようなものであるかを人々に示したように‥‥。 彼らもまた、真の王なるイエス様の生涯と死と復活の良き知らせを伝えるために遣わされようとしています。これから来る完成される素晴らしい御国の前味を彼らの生活と言葉を通して人々に与えるように遣わされます。そして人々は新しいライフスタイルへと招かれます。 イエス様は、天に昇られる前に、見習いたちに言われました。「私は今去りますが、再び戻ってきます。しかし、わたしはあなた方の内に生きる助け主である聖霊を送ります。この聖霊は、わたしとわたしの御国の良き知らせを伝える使命を果たすために、あなた方を力づけます。そして全ての人々をわたしの見習いとします。」それからイエス様は天に上げられ、父なる神の右の座に着かれました。 イエス様に従う者達(約120人)は、力を受けると約束された聖霊をエルサレムで待ちました。彼らは日々祈り待ちました。ついに10日目、突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまりました。彼らはひとつとされ、力が与えられ、使命に生きるように導かれていきました。今まで話したことのない言葉を話す能力が与えられ、イエス様の良き知らせを誰もが聞くことができるように、全ての人々に伝えていきました。 この日は、刈り入れを終え、神様からの恵を覚えるユダヤのお祭りの時期で、多くの人々がエルサレムの町にやって来ていました。激しい風の音を聞いた人々は、何が起こっているのかを急いで見に行きました。聖霊によって力が与えられたペテロたちは、人々が理解できるように点を結び始めました。彼らが待ち望んでいた真の王である救い主はイエス様であること、このイエス様をあなた方が十字架で殺してしまったこと、そしてこの罪のない方が私たちの罪の身代わりとなり十字架で死なれ、私たちを贖って下さったこと、この方が真の救い主であり、解放者であると語りました。彼らはこの良き知らせを信じて、悔い改めなくてはなりませんでした。この日、何千人もの人々がこの真実なストーリーを信じました。 時が経ち、イエス様の見習いたちはエルサレムから遣わされ、そして世界の至る所に広がっていきました。彼らはイエス様こそが唯一真の神であること、そしてこの方のなさった十字架の御業を多くの人々に語りました。そして彼らを通して、遣わされた先々で、この真実なストーリーを共に信じて生きるコミュニティが形成されていきました。このコミュニティは教会と呼ばれ、イエス様を主として従って生きる人々はクリスチャンと呼ばれるようになりました。イエス様に従う人々は、人生のすべてをこの真実なストーリーに沿って方向付けし、互いに愛し合い仕える為に生活を分かち合い、家族となりました。この家族は文化や人種の境界によって定義づけられるものではなく、十字架で血を流し死なれ、復活された救い主イエス様によって定義づけられた家族です。この家族は聖書と互いから学び、世界へ遣わされる大使として歩みました。 ​ イエス様に従った人々の多くは、この真実なストーリーに従って人生を生きた故に追放され、拷問され、殺害されました。それでも救い主が復活した良き知らせは広がり、世界中の人々に自由と赦しをもたらしました。この良き知らせが都市から地方の街々へと広がると、あらゆる階層の人々がこの真実を知るようになりました。その一人が宗教指導者のサウロでした。サウロはイエス様に従う者を殺害するという使命に燃えていましたが、彼は復活したイエス様に出会い、彼の人生は福音の力によって変えられました。そして、現在でも多くの人々に知られる主要な大使の一人となりました。 このようにコミュニティが世界中に広がると、復活したキリストを目撃したイエス様の見習いたちの何人かが、聖霊に導かれてこれらのコミュニティに手紙を書きました。彼らは兄弟姉妹の質問に答え、誤りを正し、イエス様とイエス様の使命に再び忠実に生きるように教えました。そして聖霊の力によって彼らを通して宣教が力強く行われていきました。 コミュニティである教会を通して、神様が継続してご自身の贖いの使命にあることが分かります。コミュニティが良き知らせを伝え、その良き知らせを生活で表すという使命に生きるときに、人々は愛である神様の臨在の中に生きるライフスタイルを実際に見るようになります。そして彼らもイエス様の愛を知り、王なるイエス様を礼拝するようになります。 これが、今日私たちを見出すことのできる物語の一幕です。 考えてみてください。 この章に出てくる教会と、あなたがイメージしていた教会と違うところは何でしたか? 教会の使命とは何ですか? 教会はどのようにして「神の国の前味」を世界に与えることができますか?

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第四章 : 贖い

しかし、神様はまだ、ご自身の使命を忘れていませんでした。ある静かな夜、かのダビデ王が1000年前に育ったその町、ベツレヘムに小さな男の子が生まれました。その名はイエスと付けられました。この子が生まれた夜に、無数の天使たちが先駆けて地上に舞い降り、この赤ちゃんの誕生を告げ知らせていました。これらの天使は、おとぎ話に出てくるような竪琴を持ち、小さな羽を付けた赤ちゃんのような天使ではありません。驚くべき力を有したこれらの天使たちは、この世界に、人々が待ちに待っていた真の王の訪れを告げるために来ました。天使たちは「最も高きところにおられる神に栄光を!」と神様を賛美し、この良き知らせをお祝いしていました。 時が経ち、この赤ちゃんはすくすくと成長し、大人になりました。三十歳になった頃、人々が長い間待っていた王とは自分のことであると人々に伝え始めました。「とても素晴らしい、良き知らせがあります!もう待つ必要はありません。救い主を期待して待ち続ける必要はないのです。偽物の救い主に希望をおく必要もありません!悔い改めなさい。神の御国が近づいたから。」と人々に語りかけました。 イエス様は、永遠に続くご自身の王国で、真の王が統治する中で生きる生活とはどのようなものであるかを人々に教え始めました。イエス様は、この来たるべき国でどのように生活をするかを教えてくださっただけではなく、この素晴らしい国の前味を与えてくださいました。 このイエス様の王国では 目の見えない人はいません。イエス様は目の見えない人に視力を与えました。 ここでは、病気はありません。イエス様は病人を癒しました。 ここでは、罪はありません。イエス様は罪を赦しました。 ここでは、隅に追いやられる者はいません。イエス様は、人々から忌み嫌われている罪人を愛し、友となりました。 ここでは、自然は荒れ狂うことなく、平和のままです。イエス様は、嵐を鎮めました。 ここでは、悪の力はありません。イエス様は悪魔を追い出しました。 ここでは、死はありません。イエス様は死人をよみがえらせました。 ​ 多くの人々がイエス様に従いました。このような国の国民になりたかったからです。人々は、イエス様こそが、待ち焦がれていた神様の答えであると信じ始めたのです。イエス様に従った多くの人々のうちから、イエス様は12人の見習いを選び訓練しました。それは、彼らが行って引き続きご自身の使命を遂行するためでした。この男たちは、神様が用意した王座の道に向かうイエス様に従うためにすべてを捨てました。彼らは、イエス様がローマをくつがえし、神様の民を解放し、平和な黄金時代をもたらしてくださると信じていました。 彼らはイエス様の近くにいたかったのでイエス様に従いました。イエス様を愛し、イエス様から学び、イエス様に仕えました。 しかし、誰もがイエス様を愛したわけではありません。ユダヤ人の指導者にとって、イエス様はユダヤ人が一生懸命働き、歴代、時間をかけて築いてきた宗教の制度をひっくり返す反逆者でしかありませんでした。ローマ人にとっても、イエス様は反逆者であり、反乱者として見られ、さらに悪いことに、イエス様はご自身を神だと主張しました。このように誰もがイエス様を愛したわけではありませんでした。 神の国の訪れを宣言し、ご自身が真の救い主であり、約束された王であることを、証し始めてから3年が過ぎようとしたとき、イエス様は過越の祭を祝うためにエルサレム(ダビデの町)を訪れました。過越の祭とは、何世紀も前にエジプトの奴隷の生活から救い出された神様の偉大な救いの御業を、イスラエルの人々が思い出すための祝日でした。多くの人々は、イエス様がローマの奴隷制度から彼らを救う次の偉大な救いの御業を行う王であると信じて、イエス様を都市に歓迎しました。 宗教指導者の何人かは、イエス様を殺害する計画を立てました。それが確実に実行されるように、彼らはイエス様の12人の見習いの一人であるユダと共謀したのでした。彼らはイエス様をローマ兵に引き渡し、イエス様が反乱者であると叫びました。彼らは、地上の真の王であるイエス様を鞭で打ち、殺すことを要求しました。イエス様はただ殺されるだけでなく、十字架につけられました。磔けの刑は、これまでに執行された刑の中で、最も拷問的であり、屈辱的である耐え難い死刑の1つです。 彼らはエルサレムの外れにある小さな丘の上で、イエス様を十字架につけました。世界で唯一真の王が殺されました。十字架にかかっているのは、多くの人が希望をもち、求め、待ち続けてきたお方です。12人の見習いの一人であるヨハネは恐怖の中、ただ立ち尽くしてしまいました。王が喜んで十字架にかかり、死なれた。それも、計画通りに。 計画通りに?とんでもない!そんなことがあり得るでしょうか? イエス様が王として王座につき、宝石の散りばめられた冠をかぶり、すべての被造物が彼の前にひれ伏すという、そういう計画ではなかったのですか?それなのに、イエス様が十字架にかけられ、いばらの冠をかぶせられ、敵に唾を吐きかけられ、罵られるなんて。そんな計画ではなかったはずです。 唯一真の王が今は十字架にかかり死なれた王となったのです。人類と同じように、エデンの園での反逆の罰を受ける犠牲者となりました。イエス様は特別な存在ではなかったようにも見えます。 しかし、実はこの状況でも、神様はご自身の使命を果たしてくださる途中でした。イエス様が十字架にかかってくださったというのは、神様のご計画から外れたものではなかったのです。むしろ、この十字架こそが、神様のご計画の中心でした。この十字架の死を通して、神様の被造物を贖い、回復させるという計画だったのです。 3日後、何人かの女性が、イエス様が葬られた墓に行きました。しかし、そこにイエス様はいませんでした!女性たちは、できるだけ急いで墓まで走って来たイエス様の見習いたちに伝えました。見習いたちが覗き込むと、そこにあるのは空っぽのお墓。その後、まもなくして、彼らはイエス様は確かに生きていることを知るのでした! 十字架にかけられ死なれた王は、彼こそが、絶対的で唯一の王であることを示しました。イエス様は、エデンの園で起きた、人類最初の反逆による罪の結果とその力に屈しませんでした。イエス様は墓からよみがえったのです。死を打ち負かしたのです!その呪いを完全に打ち破りました!イエス様は、その過程で、サタンの頭をも砕いたのです! イエス様は生きています。唯一真の王は、王国の敵を決定的に打ち負かしました。新しい朝が明けたのです。園でのアダムによる反逆で失われたものが、今、正され始めたのです。 考えてみてください。 神様の使命とは何ですか? 「神の国の前味」とは何ですか? イエス様はどのようにして、私たちが神の国を味わえるようにしてくださいましたか? なぜイエス様の死と復活があなたにとって重要だと思いますか?

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第三章 : 約束

神様は、国々をただ混乱の状態や、永遠に希望のない状態のままにはしませんでした。アブラハムという男を選び、契約を結びました。それは、神様がアブラハムを祝福し、子孫を増やし、その子孫を通してすべての国々に祝福をもたらすという約束でした。このアブラハムの家族を通してこそ、神様が壊れた世界を癒すことになるというものでした。 何年も待った後、アブラハムにはイサクという子供が与えられました。アブラハムは、やっと与えられた約束の子であるイサクを生贄として捧げるように神様から指示されました。聖書の中で最も劇的な場面の一つであると言えるでしょう。神様を信頼したアブラハムがイサクを捧げるため殺そうとした瞬間に、神様は彼の代わりに生贄となる雄羊を与えられました。その雄羊はイサクの代わりとなって死に、そして神様のしてくださった約束は続くのでした。 イサクの家族は、イスラエルと呼ばれる偉大な国家に成長しました。しかし、何世代もの時が流れ、イスラエルは、当時世界最強の国であったエジプトの奴隷と成り果てていました。イスラエルの人々は打たれ、虐待され、苦しみを受け、絶望の淵にいました。彼らは神様に悲痛な叫びをあげ、神様は彼らの叫びを聞かれました。 神様はモーセという男を用いて、ご自身の力強い御手でイスラエルの人々を救い出しました。エジプトからのこの脱出は、イスラエル人が振り返って「神様は私たちの救い主であり、私たちとの契約を守ってくださる」ということを常に思い出せる神様の偉大な働きでした。 イスラエル人が奴隷の立場から救われた直後、神様はある山の頂上でモーセに語られ、彼らが生きる上で必要な戒めを告げられました。しかし、アダムとエバのように、イスラエルの人々も常にこれらの戒めに従うことはできませんでした。神様は常に善良で正しく、完璧なことをするお方ですので、彼らの罪を見過ごすことはできません。罪に対する究極の罰は、死です。一人ひとりの神様に対する不従順の罪が赦されるためには、命が捧げられなければなりません。しかし、神様はご自身の民を愛していたので、彼らの代わりに罪のない動物の命を身代わりとする方法を与えてくださいました。罪の無い子羊の命が彼らの罪の代わりになるこの儀式は、長い間続けられました。 辛い奴隷の立場から救出された後、イスラエル人もさすがに神様に対する反逆をやめると思うでしょう。しかし、残念ながら、そうではありませんでした。神様が約束してくださった土地へ向かって旅をしていたイスラエル人は、神様に不平を言い始めました。また、とても辛かったエジプトの奴隷に戻りたいとまでも思い始めました。そしてある時、イスラエル人はエジプトから持ち出したすべての金の装飾品を集め、それを溶かし、黄金の子牛の像を作り、それを彼らの神としました。彼らのこのような反逆によって、神様のご計画が妨害されることはありませんでした。この時でさえも、神様は壊れた被造物を贖い回復させるという使命を果たしてくださる途中でした。 40年後、神様はヨシュアという名の男のリーダーを育て上げ、イスラエルの人々を荒野から神様が約束してくださった美しい土地へと導きました。神様は奴隷としての暮らしから安全な土地での暮らしへと彼らを救い出してくださいました。 ここで、イスラエル人はやっと安心して自分たちの土地に住むことができ、神様に対して反逆し続けてきた生き方を辞められると思うかもしれません。しかし、真の神様を礼拝する生き方ではなく、すぐに神様に対する反逆という壊滅的な生き方を繰り返してしまうのです。世代から世代へと時が経つにつれて、イスラエルの人々は彼らを救い出した神様からますます離れていきました。 しかし、神様はここでもご自身の使命を果たしてくださる途中でした。 神様ご自身が唯一の善良な王であることを示してくださったにもかかわらず、人々は人間の王を求めました。その王の一人にダビデがいました。ダビデは優れた形で、その国を治め、まとめました。ダビデが死ぬ直前、神様はダビデと契約を結ばれ、彼の息子の一人が神様の民を永遠に治めると約束されました。 しかし、ダビデの息子たちは父親の道を歩まず、神様に従いませんでした。彼らは他の国の多くの神々に目を向け、自国の人々を真の神様から遠ざけてしまいました。イスラエル人の反逆のため、神様は他の国を用いてイスラエルを征服させ、約束の土地から彼らを追放しました。すべてが失われたようでした。しかし、神様はここでも壊れた被造物を贖い回復させるという使命を果たしてくださる途中でした。 約束の土地から追放されている間も、神様は預言者たちを通して語られました。それは、いつか神様がこの地に来られ、神様の民を救ってくださるという大きな約束でした。神様は、偉大な力を持ちながらも誰よりも謙虚に仕える方を送り、彼らを贖ってくださると。 それゆえ、神様の民は、神様が彼らを救ってくださる日を待ち望み、希望を抱いていました。 幕間 最初にバビロニア人、次にペルシャ人、その次にギリシャ人、そして最後にローマ人 –– 何世紀にもわたってこれらの帝国は、神様の民であるイスラエル人を国外へ追放し、弱体化させ、奴隷にまでしました –– そして、神様はそれを止めることもせず、何もしなかったようにみえます。 結局、神様はイスラエルの祈りに応えてくださるのでしょうか?彼らを救い出してくださるのでしょうか? ​ 神様は物事を正すために、ある方を送るとアダムに約束しました。 神様はこの地上を決して破壊しないとノアに約束しました。 神様はアブラハムの子孫であるイスラエルの人々を祝福するとアブラハムに約束しました。 神様はエジプトの奴隷であったイスラエル人の先祖を救い出しました。 神様はイスラエル人を祝福し、ヨシュアを通して彼らに土地を与えました。 神様は、ダビデの息子を通して、民を正しく導き、支配する王をくださると約束しました。 神様は追放されている状態から神様の民を救うと約束しました。 ​ 400年以上もイスラエルの人々は待っていました。  とても長い間、求め、 期待していました。 神様が救ってくださることを。 ​ 神様の民は、自分たちの王となるべく神様から遣わされる方、救い主を探し求め始めました。 偉大な政治家や強力な革命家が現れるたびに、何度も彼らの期待が膨れ上がりました。しかし、自称救い主だという人物は皆、イスラエルを救うことができませんでした。  その度に、彼らの希望は何度も打ち砕かれました。 この物語が、このまま終わりを迎えていくようにも見え始めていました。 考えてみてください。 イスラエルに対して神様のしてくださった約束はどのようなものがありましたか? イスラエルの人々は何をするべきでしたか?彼らは実際にそれを行うことはできたでしょうか? この物語から神様とはどのようなお方であると学びましたか?人間について、また世界についてはどうでしょうか?

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第二章 : 反逆

ある日、人をだます、嘘つきのヘビがエバに近づき、質問をしました。「神様は、園にあるどの木からも実を取って食べてはならない、と本当に言ったのですか?」エバは、言いました。「いいえ、神様はそうおっしゃってはいません。私たちは園にあるどの木からも食べることができます。でも、善悪の知識の木だけ、私たちが食べたり、“触ったり”してはいけないのです。もし食べたら、私たちは必ず死んでしまいます。」 蛇はエバに嘘をついて言いました。「あなたは死ぬことはありません!神様は、あなたがその木の実を食べるとすぐに目が開かれ、あなたが神のようになることを知っているのです。あなたは、何が正しく、何が間違っているかを自分で決めることができるようになるのです。」 「何が正しく、何が間違っているか自分で決めれるようになるのですって?」とエバは思いました。美味しそうな実を見て、じっくりと考えたのち、エバは真実な神様のことばより蛇の嘘を信じてしまいました。彼女は手を伸ばし、その実を食べてしまったのです。それから一緒にいた夫のアダムにも渡し、アダムもその実を食べてしまいました。その瞬間、アダムとエバの目は開かれ、二人の心は、罪悪感と恥であふれました。そして、すぐにイチジクの葉を繋ぎ合わせて、裸である部分を覆い隠しました。アダムとエバは神様に対して反逆し、神様の善良な統治の外で住むことを自ら選択したのです。二人はすぐに、自分たちのした選択による破壊的な影響を経験するのでした。 同じ日のそよ風の吹くころ、神様がいつものように園を歩いていらっしゃるのが聞こえてきました。その音を聞いたアダムとエバは、恥ずかしくなり、近くの茂みに隠れました。 神様は二人に呼びかけておっしゃいました。「アダム、あなたはどこにいるのか?」アダムは自らを恥じて答えました。「あなたがいらっしゃるのが聞こえ、自分が裸なので恐ろしくなりました。」神様は続けてお尋ねになりました。「あなたが裸である、と誰が教えたのですか?私が食べてはならないと言ったあの実を食べたのですか?」アダムは神様に答えて言いました。「あなたが私に与えたこの女性が、その実を私に渡したのです。」それから神様はエバにおっしゃいました。「なんということをしたのだ」エバは、「蛇が私をだまして、その実を食べさせました」と言いました。 神様は蛇に言われました。「お前は、自分のしたことのゆえ呪われる。今後、お前は、この女とその子孫の敵となる。お前はその子孫のかかとを噛むだろうが、彼はお前の頭を踏み潰すだろう!」 それから、神様はアダムとエバと向き合わなければなりませんでした。善良な神様の統治の外で住むという選択が、神様の素晴らしい被造物に激しく影響することを神様は知っておられました。 二人の決断の結果、人は、病気、痛み、苦しみ、そして死までも受けるようになることを、神様はご存知でした。神様は正しく、善良なお方であるため、不正や反逆が永遠に神様の前にとどまることを、お許しになることはできません。それゆえ、神様は、反逆した二人を罰しなければなりませんでした。 神様は人間の罪の結果を語られました: ​ 女は子供を産む際、大きな痛みを感じることになる。 男はほんの少しの食物を得るために、苦労し、奮闘し、汗をかいて土地を耕すようになる。 人はお互いの関係で自分が権力を得ようと苦労するようになる。 人は死んで、形作られた塵へと戻るようになる。 ​ 神様に対する反逆の結果、神様は二人を罰しなければなりませんでしたが、変わらず二人を愛し、必要を満たして下さいました。神様は、アダムとエバに動物の皮で作った服をお与えになりました。それは、悲しくも、以前彼らが名前を付け、世話をしていた動物の皮で作られたものでした。 神様はアダムとエバを園から追い出し、力強い戦士の天使たちを送ってその入り口を守らせ、人が園に再び入ることができないようになさいました。また神様は、いのちの木を守るために燃える剣を置き、人々がその実を食べることがないようになさいました。神様の素晴らしい創造は、今では劇的に異なった場所となってしまい、神様が本来創造したものが捻じ曲げられ、歪められてしまいました。 さて、わたしたちが理解しなければならないことは、この物語が園での反逆で終わらなかったということです。他の全ての良い話のように、この物語にも、希望があります。人が神様に対して反逆をしたとしても、神様は壊れた被造物を贖い回復させるという使命を果たしてくださる約束、これがこの物語の希望です。今はまだこの物語の途中であり、神様が最後まで責任をもって書き上げ、最高のエンディングが待っているのです。 神様の被造物すべてが今や呪いのもとにあるという認識の中でも、アダムとエバは、善良な神様がいつか彼らの子孫の一人を通して蛇を打ち砕くという、神様のしてくださる約束に期待し続けました。実は、ずっと前から、この一人の完全な勝利者は約束され、用意されていたのです。 園での失態の後でも、人間の神様に対する反逆は引き続き繰り返されました。アダムとエバには2人の息子がいましたが、なんと、兄は弟を殺してしまいました。神様が地球上の人々を見渡すと、人間の心にある全ての考えが悪で満ち、人間の悪が強く大きくなっていました。神様はこの人間の反逆と悪を一掃するために大洪水を起こし、地球全体を水で満たすことを決めました。しかし、こんな状況の中でも、神様はご自身の使命を果たす途中でした。 その証拠に、神様はすべての人間を一掃したわけではありませんでした。ノアと彼の家族は洪水から救われました。洪水の水が引いた後、神様は空に虹を描き、二度とこの世界を大洪水で滅ぼさないという契約をノアと結びました。 今までの教訓を踏まえ、ノアの子孫は神様を愛し、従い始めたと思うでしょう。しかし、人間の神様に対する反逆心はもっと深いところまで根付いていました。虚栄と利己心<プライド>が世界を支配していました。人々は一つの所に集まり、天に届く塔を建て、自分たちが有名になり尊敬されるために労力を使い、神様の被造物を管理し、神様の栄光で地上を満たすという大切な働きを避けるようになりました。 恵み深い神様は、破壊へと導く高慢な生き方をやめさせる為に、 言語を混乱させ、人々を地球全体に散らされました。そしてここでも、神様は壊れた被造物を贖い回復させるという使命を果たしてくださる途中でした。 考えてみてください。 人はどのような真実を嘘と取り替えてしまったでしょうか? 平和はどのようにして壊されてしまったでしょうか? この物語のどこに神様の恵を見ることができるでしょうか? この物語から神様とはどのようなお方であると学びましたか?人間について、また世界についてはどうでしょうか?

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第一章 : 創造

初めに神様が天と地を創造されました。神様はこの物語の主人公であり、私たちに身近な存在であり、この世界にある全てのものを創造するほどの力があるお方です。このお方は全宇宙を司る真の統治者でありながら、愛をもって全てのものの必要を満たし、養ってくださるお方です。 神様の築いた王国と、その権威の領域は天国だけに制限されることはありません。神様は、力強く、意図的に、 そして創造的に話すことで、全ての被造物を生み出しました。 神様はこの世界の礎を正確に築きました。
 神様は意図的に水と乾いた土地を分け、その土地を美しい花とユニークな動物で満たしました。 神様は創造的なキャンバスに多くの色と香りを吹きかけ、すべてのものが神様の偉大さを表していました。 神様は、ご自身と分かれた物理的な王国、この世界を丹念に細部にこだわりながら、5日間かけて創造されました。そして、毎日の終わりに、神様はご自身の働きについて振り返り、「それは良い」とおっしゃいました。 6日目に、神様は最初の人間を創造されました。神様は「私たちの御姿に似せて人間を造ろう」とおっしゃり、地面の塵で形作り、そこに生命の息を吹き込みました。このように最初の人間が創造され、神様の良い統治を楽しむことができる完璧な楽園に置かれました。人間は神様の被造物を管理する責任が与えられたという点で、他の被造物とは明らかに異なっていました。神様は、最初の男であるアダムに話しかけ、動物、様々な香り、風景、そして神様の働き、ご自身が創造されたもの全てを楽しむよう告げました。アダムと後のすべての人間が、神様が造られたこの素晴らしい環境を楽しむことができるように創造されました。また人間は、すべての被造物を通してこの世界の王である神様の良さと偉大さを反映するという重要な働きをもするよう創造されました。 神様は、園の中央に2本の木があることをアダムに示されました。 1つは、生命の木。この木の実は、園にある他の木々と同じように楽しんで食べることができました。もう1つは、善と悪の知識の木。人間がその木の実を決して取って食べてはならない、唯一の木でした。神様は、「この木の実を取って食べれば、必ず死ぬことになる。」とおっしゃいました。このように、神様はアダムが園でどのような生活を送るべきかを語られました。園を管理し、動物たちに名前を付けるという責任がアダムに与えられ、神様の権威の下でこの世を支配していました。 アダムは神様から与えられた仕事を行いました。アダムが働いていると、神様は、「人が一人でいるのは良くない、彼には助け手が必要だ」とおっしゃいました。そこで神様はアダムを深い眠りにつかせ、彼のあばら骨をとり、エバという女性を造りました。彼女をとおして、アダムがその関係を楽しみ、愛し、守り、思いやり、そして共に働けるためにです。アダムが目を覚ましたとき、すぐに詩を作り、神様が創造なさったものによって自分がどれほど驚いたかを表しました。 これが、人類最初の結婚です。それは、恥も罪の意識もなく、ただただ楽しいものでした。 二人はあらゆる意味で裸であり、何も隠していませんでしたが、拒絶されることを少しも恐れていませんでした。 神様は、ご自身の被造物の可能性を広げることと、子供を産み家族を増やすことを、男と女の両方に命じられました。6日目が終わり、神様はご自身に似せて造られた人間を見て「非常に良い!」とおっしゃいました。 それから、7日目に神様は休まれ、ご自身の被造物の素晴らしさを思い巡らされました。 これで神さまと被造物との関係が終わりではなく、むしろ始まりに過ぎません。 毎日、神様はそよ風の吹くころ、降りてこられ、アダムとエバと話され、最善の生き方を教え、神様の素晴らしい統治の下で生きる方法を示されました。 アダムとエバは、創造主である神様とその被造物の素晴らしさと偉大さの両方を楽しむことができました。 神様に栄光をもたらすため、二人は園を管理し、それをさらにより良いものへと発展させながら、忠実に働いていました。アダムとエバは、神様と神様の造られた素晴らしい世界、そしてお互いの完全な調和のなかで生きていました。 これは本当に良い王国でした! 考えてみてください。 ​園に存在していた平和とはどのようなものだったでしょうか? 人間は何をするものとして創造されたでしょうか? この物語から神様とはどのようなお方であると学びましたか?人間について、また神様の世界についてはどうでしょうか?

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