しかし、神様はまだ、ご自身の使命を忘れていませんでした。ある静かな夜、かのダビデ王が1000年前に育ったその町、ベツレヘムに小さな男の子が生まれました。その名はイエスと付けられました。この子が生まれた夜に、無数の天使たちが先駆けて地上に舞い降り、この赤ちゃんの誕生を告げ知らせていました。これらの天使は、おとぎ話に出てくるような竪琴を持ち、小さな羽を付けた赤ちゃんのような天使ではありません。驚くべき力を有したこれらの天使たちは、この世界に、人々が待ちに待っていた真の王の訪れを告げるために来ました。天使たちは「最も高きところにおられる神に栄光を!」と神様を賛美し、この良き知らせをお祝いしていました。


時が経ち、この赤ちゃんはすくすくと成長し、大人になりました。三十歳になった頃、人々が長い間待っていた王とは自分のことであると人々に伝え始めました。「とても素晴らしい、良き知らせがあります!もう待つ必要はありません。救い主を期待して待ち続ける必要はないのです。偽物の救い主に希望をおく必要もありません!悔い改めなさい。神の御国が近づいたから。」と人々に語りかけました。


イエス様は、永遠に続くご自身の王国で、真の王が統治する中で生きる生活とはどのようなものであるかを人々に教え始めました。イエス様は、この来たるべき国でどのように生活をするかを教えてくださっただけではなく、この素晴らしい国の前味を与えてくださいました。


このイエス様の王国では

  • 目の見えない人はいません。イエス様は目の見えない人に視力を与えました。
  • ここでは、病気はありません。イエス様は病人を癒しました。
  • ここでは、罪はありません。イエス様は罪を赦しました。
  • ここでは、隅に追いやられる者はいません。イエス様は、人々から忌み嫌われている罪人を愛し、友となりました。
  • ここでは、自然は荒れ狂うことなく、平和のままです。イエス様は、嵐を鎮めました。
  • ここでは、悪の力はありません。イエス様は悪魔を追い出しました。
  • ここでは、死はありません。イエス様は死人をよみがえらせました。

多くの人々がイエス様に従いました。このような国の国民になりたかったからです。人々は、イエス様こそが、待ち焦がれていた神様の答えであると信じ始めたのです。イエス様に従った多くの人々のうちから、イエス様は12人の見習いを選び訓練しました。それは、彼らが行って引き続きご自身の使命を遂行するためでした。この男たちは、神様が用意した王座の道に向かうイエス様に従うためにすべてを捨てました。彼らは、イエス様がローマをくつがえし、神様の民を解放し、平和な黄金時代をもたらしてくださると信じていました。 彼らはイエス様の近くにいたかったのでイエス様に従いました。イエス様を愛し、イエス様から学び、イエス様に仕えました。


しかし、誰もがイエス様を愛したわけではありません。ユダヤ人の指導者にとって、イエス様はユダヤ人が一生懸命働き、歴代、時間をかけて築いてきた宗教の制度をひっくり返す反逆者でしかありませんでした。ローマ人にとっても、イエス様は反逆者であり、反乱者として見られ、さらに悪いことに、イエス様はご自身を神だと主張しました。このように誰もがイエス様を愛したわけではありませんでした。


神の国の訪れを宣言し、ご自身が真の救い主であり、約束された王であることを、証し始めてから3年が過ぎようとしたとき、イエス様は過越の祭を祝うためにエルサレム(ダビデの町)を訪れました。過越の祭とは、何世紀も前にエジプトの奴隷の生活から救い出された神様の偉大な救いの御業を、イスラエルの人々が思い出すための祝日でした。多くの人々は、イエス様がローマの奴隷制度から彼らを救う次の偉大な救いの御業を行う王であると信じて、イエス様を都市に歓迎しました。


宗教指導者の何人かは、イエス様を殺害する計画を立てました。それが確実に実行されるように、彼らはイエス様の12人の見習いの一人であるユダと共謀したのでした。彼らはイエス様をローマ兵に引き渡し、イエス様が反乱者であると叫びました。彼らは、地上の真の王であるイエス様を鞭で打ち、殺すことを要求しました。イエス様はただ殺されるだけでなく、十字架につけられました。磔けの刑は、これまでに執行された刑の中で、最も拷問的であり、屈辱的である耐え難い死刑の1つです。


彼らはエルサレムの外れにある小さな丘の上で、イエス様を十字架につけました。世界で唯一真の王が殺されました。十字架にかかっているのは、多くの人が希望をもち、求め、待ち続けてきたお方です。12人の見習いの一人であるヨハネは恐怖の中、ただ立ち尽くしてしまいました。王が喜んで十字架にかかり、死なれた。それも、計画通りに。


計画通りに?とんでもない!そんなことがあり得るでしょうか?

イエス様が王として王座につき、宝石の散りばめられた冠をかぶり、すべての被造物が彼の前にひれ伏すという、そういう計画ではなかったのですか?それなのに、イエス様が十字架にかけられ、いばらの冠をかぶせられ、敵に唾を吐きかけられ、罵られるなんて。そんな計画ではなかったはずです。


唯一真の王が今は十字架にかかり死なれた王となったのです。人類と同じように、エデンの園での反逆の罰を受ける犠牲者となりました。イエス様は特別な存在ではなかったようにも見えます。


しかし、実はこの状況でも、神様はご自身の使命を果たしてくださる途中でした。イエス様が十字架にかかってくださったというのは、神様のご計画から外れたものではなかったのです。むしろ、この十字架こそが、神様のご計画の中心でした。この十字架の死を通して、神様の被造物を贖い、回復させるという計画だったのです。


3日後、何人かの女性が、イエス様が葬られた墓に行きました。しかし、そこにイエス様はいませんでした!女性たちは、できるだけ急いで墓まで走って来たイエス様の見習いたちに伝えました。見習いたちが覗き込むと、そこにあるのは空っぽのお墓。その後、まもなくして、彼らはイエス様は確かに生きていることを知るのでした!

十字架にかけられ死なれた王は、彼こそが、絶対的で唯一の王であることを示しました。イエス様は、エデンの園で起きた、人類最初の反逆による罪の結果とその力に屈しませんでした。イエス様は墓からよみがえったのです。死を打ち負かしたのです!その呪いを完全に打ち破りました!イエス様は、その過程で、サタンの頭をも砕いたのです!


イエス様は生きています。唯一真の王は、王国の敵を決定的に打ち負かしました。新しい朝が明けたのです。園でのアダムによる反逆で失われたものが、今、正され始めたのです。

考えてみてください。

  1. 神様の使命とは何ですか?
  2. 「神の国の前味」とは何ですか?
  3. イエス様はどのようにして、私たちが神の国を味わえるようにしてくださいましたか?
  4. なぜイエス様の死と復活があなたにとって重要だと思いますか?